プロフィール

はじめまして!

から子と申します。

「頑張ってるのは分かるんだけど...要領良くないよね」

自分では言われた通り、色々考えてやってるつもりなのに、要領が悪い。
一人で空回っている女・から子と申します。

このブログは、自分は管理栄養士には向いていないと思いつつ、「国家資格を使わなければならない」と思い込み、もがいて空回りしてきたアラフォーの記録です。

なんで栄養士になったの?

私が栄養士を目指したきっかけは、子供の頃の食生活にありました。
両親が共働きで忙しかったため、総菜やレトルト、カップラーメンは当たり前。

このままで私の体は大丈夫なのか?と思っていた時に、偶然テレビで知ったのが栄養士という仕事。
見た瞬間に「これだっ!!」と思いました。

学生生活と将来への不安

大学で栄養について学ぶのは本当に楽しいと感じていました。
一方で、料理は苦手ではないけど、調理実習はあまり楽しいと感じない…
自分が将来どんな職に就けるのか、漠然とした不安を抱えつつ、考えないようにして過ごしていました。

そんな将来に対する不安が大きくなったのは、課外実習に行った時でした。
原因は、調理師vs栄養士の人間関係を目の当たりにしたこと。
学生の前でもお構いなしの陰口合戦😨

「あ、私、栄養士無理かも...」

最初にはっきり感じた瞬間でした。

だからといって資格を無駄にすることもできず、卒業後は施設で働く事になります。
人間関係で悩み、楽しかった献立作成や発注も日々追われるうちに心の余裕がなくなっていき…
結婚退職が決まった時は心底ホッとする自分がいました。

ブランク後の仕事探し

結婚後、管理栄養士としての再就職プランはゼロ!
子育ての忙しさを理由に、何の勉強も準備もせず10年が過ぎました。

ひとまず、ブランク可の管理栄養士の求人に応募しますが、子供の預け先がない事で面接すらしてもらえず。
どうしても管理栄養士として復帰したいという思いも薄かった私は、別の仕事をする事に。

でも、資格がもったいないと人に言われることを恐れ、とりあえず食に関係する仕事もしていました。

から子の職歴

国家試験合格後、身体障害者支援施設で管理栄養士として2年ほど勤務

25才で結婚。男の子2人の育児に追われる

35才でハローワークへ 夫婦共に実家が遠く、子供の預け先がないことで面接すら受けられず

42才までは色々な仕事を経験
複数の派遣に登録し、子供の夏休みや春休みに合わせて、2~3か月の短期の仕事

学校給食の調理補助 食品工場 歯ブラシ工場 工場での軽作業 飲食店のキッチン
在宅ライター シール貼りや組み立て系の内職 特定保健指導 高校の学食

最後の挑戦「特定保健指導」

ブランク後、唯一管理栄養士の資格を使ったのは40歳を超えてから。
「特定保健指導」の相談員(継続電話支援)になりました。
ですが、その仕事も自分には合っていないと感じ、半年ほどで辞めてしまいました。

自分の中で、特定保健指導の仕事が向いていないとわかったら、管理栄養士の資格はもう使わなくていい!と決めていました。
「資格を使わなければ」という思いを抱えて生きるのは、とても辛いものでした。

さいごに...

私は苦労して取った資格を無駄にしてしまいました。
でも、そんな私だからこそ、話せることをお伝えしていけたらと考え、このブログを始める事にしました。

特定保健指導はどんな仕事なのか、学校給食の現場はどうだったか
ブランクを埋める勉強として少しお高い教材も買ったし、セミナーに行ったこともあります

私の経験を通して「こんな風になるのは嫌だな~」とか「わたしならこうする!」など、何か少しでも考えて、行動するきっかけになってもらえると幸いです。